|
|
Dragon Ash PROFILE |
|
|
生年月日 |
1979年2月9日生まれ |
||
|
血液型 |
B型 |
||
|
父親は俳優の古谷一行(己の力だけでのしあがる為、俳優古谷一行の息子であることを隠すべく名前も変え、メジャーに挑み成功している話は有名)。小・中・高校・大学一貫して進める青山学院に入学。中学3年生の時、Gキラーというバンドを結成。この頃に作ったデモテープがきっかけで、デビューへの道を拓く。高校生の時、ワシントンに短期留学する。留学を終えた後、映画出演。高校は中退するが、両親と相談して高校卒業を条件として別の高校へ編入し、音楽を続ける事に。プロに向けて結成したバンドは解散したが桜井だけが残り、馬場が加わったのちDragon
Ashとしてバンド結成。現在のジャパニーズ・ミュージック・シーン随一を誇る音楽的行動力と瞬発力で、ドラゴンアッシュを強力に牽引する最重要人物。楽曲の全作詞作曲を手掛け、バンドのイニシャチブを取る。音楽への真撃な姿勢を持ちつつも遊び心は絶対に忘れない、リスナーを真直ぐに見据えながらも茶化しも時にある、無愛想でありながらも周囲をひたすら楽しませるそのすべてが、ドラゴンアッシュの楽曲においても、ステージにおいても、プロデュース・ワークにおいても発揮される。向こう見ずなパワーと、感情のおもむくままの行動には、強い個性ときらびやかなオーラさえ感じてしまう。まさに彼自身の感情や生き方が、Dragon Ashの表現行動の全ての鍵を握っていると言っても、間違いではあるまい。常に人々への感謝の気持ちを忘れず、人として生きる喜び、誇りをそのLyricにのせてリスナーに届けようとする天才アーティスト。その存在はただの天才という陳腐な言葉では表現できないほど、日本の音楽シーンに革命を起こしつつある(なにせ、Dragon
Ashは最終形でなく、次ぎへのステップと言っているあたりが恐ろしい)特筆すべきは、彼の企画により発足したTMC(Total Music
Communications)である。レーベルやジャンルといったこれまでの定義的な枠をすべて取り払い、自らがカッコいいと思った楽曲、アーティストを同じ日に同じステージで競演させる。それにより、アーティスト間、リスナー間でそれぞれ与え合う影響はマジ半端ないものとなった。この大偉業を音楽業界のベテランでなく、若干21歳の若き天才アーティストが成し遂げた。このパワー、行動力こそが、殿が若者に支援される所以であろう。そんな彼の多面性が、我々の目を引き付けて離さない。 |
|||
|
生年月日 |
1979年2月7日生まれ |
||
|
血液型 |
O型 |
||
|
東京の小平出身。地元の市立小学校を卒業後、青山学院の中等部に入学。降谷と知り合う。当初降谷とは別のバンドに所属していたが、降谷のバンドが解散した事から一緒にやる事になる。そして馬場が加わり3人でDragon Ashという名前でデビューする。現在でも大学にごく普通に通ってるように、少年時代から変わることのないほのぼのとした雰囲気が、ファンだけでなくメンバーからもこよなく愛されているドラマー。優しそうな見た目と、雰囲気、話し方からおとなしそうな印象が強いが、いったんステージに上がるとそのドラムパフォーマンスは他を圧巻するものがある。特に彼の高速ビートはDragon Ashのパンクナンバーにとっては必要不可欠となっている。2000年は”ワル”のサクになりきる予定らしいが、どうみても、持ち前の人の良さが表に出てしまって計画は失敗しそう(笑)ただ、そこがまたサクFANにはたまらないのかもしれない。普段はラーメンとドラムをこよなく愛す、ごく普通の大学生なのである。Dragon
Ashの3rdAlbum「Viva la revolution」でSecret Trackとして収録されている「HOT CAKE」ではそのお茶目な人柄を垣間みることができるので、要Check! 馬場さんとのMotor
Headphoneの活動も開始している。彼もまた、自分の考え方を第一に考える、かなり癖の強い男である。パワーあふれるドラムが彼の身上だが、最近のステージでは男っぽさも倍増、パンク・チューンでの彼のドラミングは必見だ。 |
|||
|
生年月日 |
1965年11月1日生まれ |
||
|
血液型 |
A型 |
||
|
東京の八王子出身。小学校の頃、ダウンタウンブギウギバンドのスモーキンブギを聴いて音楽に興味を持つ。中学生の頃、ギターを買うが、本格的に楽器の練習をするようになったのは高校生に入ってからで、都立片倉高校に入学後、音楽に熱中する日々を過ごす。ある時、友人からベースをやらないかと誘われ、ベースをやる事に。高校卒業後、バンドを転々としながらのバイト生活の毎日を送る。降谷建志達のメンバー募集記事を見つけ年齢を偽り応募し、オーディションを受けDragonAshのメンバーに加入(Dragon Ashのベーシストオーディションに合格し、メンバーとなった訳だが、降谷建志と桜井誠が馬場さんの演奏を聞いた途端、あまりの感動で即決、他の参加者は即お帰り願ったらしい)。バンド唯一の年長者。それゆえの他の3人にはない冷静なバンド観を持ちつつも、それを感じさせないルックスと、時折見せる突拍子もない行動とギャグが魅力のベーシスト。フォークやハードロック、ニューウェーブ、グラム、サイケデリック、パンク、ロックンロール等々、様々なジャンルの音楽を自身の中へ取り入れてきた彼。その激しいグルーヴを描き出すベース・プレイの中に、様々なジャンルの音がミクスチュアされているのは、彼のプレイした音を聞いて戴ければ一目瞭然。それからライブでのパフォーマンスはいつもオーディエンスをわかせている。また、その風貌は年齢を微塵も感じさせず、その人柄もあって、馬場信者は多い。99年のF.O.Eツアーの終了後に体調を崩して、緊急入院、生死の淵をさまよった。だが、2000年になっての馬場さんのパフォーマンスはひるむことなくヒートアップ。お気に入りのUSAジャージを脱ぎ捨て、カンフー道着を身に纏った馬場さんFANは今も増えつづけている。建志+BotsのSteady&co.同様、サクとのコンビでMotor
Headphoneというチームを結成、更なる躍進を求めて活動している。そんなキャラクターが思う存分活かされる、ステージでの彼のエモーショナルなふるまいはファンを魅了してやまない。 |
|||
|
生年月日 |
1978年5月30日生まれ |
||
|
血液型 |
大型(笑) |
||
|
Dragon Ashのリーサル・ウェポン、Mr.Turn Table、DJ Bots(Botsは昔からのあだならしいですね。どうも)こと、てっちゃんです(本名は佐藤哲也)。千葉県出身で、地元の中学校から青山学院高等部に進み、降谷建志、桜井誠と知り合う。中学生の頃にヒップホップに興味を持つ。機材をそろえ趣味程度でやっていたが、降谷からライブでDJやってという誘いをうけ、DragonAshのデビューライブでDJをやることに。(1st Album 「Mustang!」に収録されている「N.J Soul」のレコーディングでのDJプレイがDragon Ashでの初仕事。その直後、97年の秋よりライブ・メンバーとなり、Dragon
Ash独自のライブ形態を作るうえで重要な役割を果たす。マキシシングル「陽はまたのぼりくりかえす」からレコーディングに参加)それからはスケジュールが合えばライブに参加するようになり、99年正式加入のターンテーブリスト。ドラゴンアッシュのヒップホップ・サイドを、時には降谷の右腕として、そして時には一手に担う。彼が入ってからDragon Ashは音楽性の幅もかなり広がり、HIPHOPのみならずパンクナンバーにもスクラッチガンガンといったスタイルを確立しつつある。かなり個性の強いDragon
Ashのメンバーの中でもひときわ目立っており、その風貌、ひとなつこそうな笑顔からFAN層も幅広い。これまで建志の片腕としてDragon Ashをはじめ、Steady&co.等その才能を伸ばしつつあるが、今後はさらにBots色の濃い作品が登場することとなろう。今やドラゴンアッシュの「濃いかくし味」または「目立つ秘密兵器」的存在。 |
|||